今回は天草の炭鉱の歴史などについてふりかえってみましょう。
<天草炭田> (写真、資料は熊本県高等学校教育研究会地学部会より引用) |
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石炭から石油へのエネルギー革命が進む中、天草で最後まで残った炭鉱が魚貫炭鉱である。 右写真は石炭の粒度を揃えた後、船積みする前にダンプトラックの荷台に石炭を供給する施設跡。採掘された石炭は、クラッシャー(破砕機、現在痕跡も残っていない)からこの建物の上部に石炭が供給される。石炭の粒度にあわせて1階に3カ所のトラック用供給口があるのが見える。 |
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右写真は魚貫炭鉱の鉱口のひとつ、切羽(きりは:採炭現場)は海底に続く。炭車(トロッコ)が往復していた。カンテラヘルメット(電球つき鉄兜)を被った炭鉱夫たちがトロッコに乗り込み猛スピードで線路を下って行く、次に、掘り出した石炭を積んでトロッコはこの鉱口から上がって来る。 仕事を終えて上がってきた鉱夫たちの顔は石炭で真っ黒であった。すぐそばに大浴場があり、鉱夫たちは体についた炭塵を洗い流して家路についた。 |
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